LOGINゆきちゃんがスタジオに入ったのをしっかりと確認してからより姉がわたしに確認してくる。
「それでこっちの手筈は整ってるのか?」
もちろん抜かりはないとばかりに笑顔でサムズアップ。
ゆきちゃんのことに関してはわたしに任せてもらえれば万事大丈夫。マネージャーかってくらい予定を細部まで把握してる。
スマホを取り出し、動画アプリを立ち上げる。そこに表示されている配信者のチャンネル名『雪の精霊/YUKI』
「そのまんまじゃねーか!隠す気ほんとにあんのか?」
わたしもまさかとは思っていたがものは試しと検索してみたら一発で見つかったので思わず笑ってしまった。普段から自分を雪の精霊だって言ってるのにそのまんまって。
これでわたし達には秘密にしておきたいって言うんだからどこまで本気なのか疑っちゃうよね。
「完璧人間なのに変なところで抜けてやがる」
まぁそういうのもゆきちゃんのかわいいところなんだけどね。
「天然さんなのかしらね」
かの姉もくすくす笑いながらスマホを操作してる。
「記念すべきゆきの初配信はスマホじゃなくて大画面で見たい」
「ナイスアイデア、さすがあか姉!テレビにつなげるね」
アプリを使ってスマホをテレビ画面にリンクさせたところで配信開始3分前。
今頃ゆきちゃんはどんな気持ちでいるんだろうな。
不安半分ワクワク半分ってところかな?
わたしもまたこうやって画面の向こうにいるゆきちゃんを見ることのできる日が再び訪れたことをとても嬉しく思っている。
子役の頃から画面の向こうでキラキラと輝いているゆきちゃんを見るのが好きだったから、突然引退したときは寂しくてわたしの方が泣いちゃったくらい。
アメリカではヒットしなかったしすぐに活動休止しちゃったからテレビで見る機会もほとんどなかった。
媒体は変わったけどこうして画面越しにキラキラするゆきちゃんをまた見ることができる。ゆきちゃん本人よりわたしの方が嬉しさで興奮してるかもしれない。
「始まるよ」
カウントダウンが終わって画面が切り替わり、さっきゆきちゃんに見せてもらったアバターが画面に大きく映し出された。おー動いてる!
『見に来てくれたみなさん、はじめまして~!わたし、今日からVtuberとしてデビューしました雪の精霊、YUKIです!初配信なのに160人も来てくれたんだね!ありがと』
絵師さんの最高傑作だけあって確かにかわいいし、コメントを見ていても見た目の賞賛がたくさんある。でも、なんというか……。
「毎日あの顔を見ながら話してるからあんまり意識したことなかったですけど、ゆきちゃんって声もかわいいんですのね」
そう!いざ声だけに注意して聞いてみると抜群にかわいい。多少余所行き用の声を作ってはいるものの、聞いてるだけで癒されるような笑顔になれるような。ドキドキする。
「声だけで十分お金とれる」
違いない。ゆきちゃんの声にはそれだけの魅力がある。Vtuberでも十分人気が出るだろう。
「その声で毎日起こしてもらってるあたしらは幸せもんだな!」
より姉の言う通り、ゆきちゃんに朝起こしてもらうと目覚めがいいのもこのかわいい声を聴くことができるからかもしれない。
コメント欄も最初はキャラの見た目への反応だったけど、ゆきちゃんが自己紹介をするとコメントの内容も変わっていく。【これは声とキャラが見事にハマってますな】【カワユス】【耳が幸せ~】【推し決定】声そのものに対する評価も好評なものばかりでみるみるうちにチャンネル登録者が増えていく。
その流れに便乗してわたしもちゃっかり登録。お姉ちゃんたちもこのタイミングを逃さずにしっかりチャンネル登録をしたみたい。
「これでまたゆきちゃんを愛でる機会が1つ増えたね」
「いつでも好きな時に聞けるのがいい」
「こりゃ睡眠用にもいいかもな」
「ゆきちゃんにバレないようにね」
本気で隠す気があるのか疑うレベルのチャンネル名だけど、本人が恥ずかしがってるのだから知らないふりをしてあげるのも思いやりだよね。うん。
賞賛のコメントとはじめましてのあいさつが落ち着いてきたころにゆきちゃんの絵を描いた絵師さんからコメントが入った。【日向キリ:配信開始おめでとう!この日が来るのを指折り数えて心待ちにしてました】ただの祝福コメントにしては熱量が高い。
『キリママも来てくれたんだ、ありがとう!みんな、YUKIの産みの親のキリさんです!以前からわたしの推しの絵師さんなんだ!』
キリさんは絵師界隈でもそれなりに名前が通っているらしく最初は【おぉキリさんの絵だったのか】【キリさんの絵ワイも好き】なんてコメントが並んでいたけどそのうち【でもなんか今までの作品よりクオリティ高くない?】【めっちゃ丁寧に書いてある感ある】【レベチでかわいいやん】というコメが出てきた。
【日向キリ:とある事情によりYUKIちゃんの絵は全力を注いで書き上げた最高傑作】ということなので知っている人ならだれの目から見ても分かるくらい気合の入れようが違うみたい。
本当に頑張ってくれたんだと、ゆきちゃんの身内としては感謝の言葉しかない。
『わたしも仕上がった絵を送ってもらって一目で気に入っちゃったよ!キリママありがとう!』
【日向キリ:YUKIちゃんのおかげで絵師としてワンランク上がった気がする。こちらこそありがとうだよ】それだけ苦労したんですね、お察しします。
リスナーの人たちはよく意味が分かってないみたいだけど、わたし達姉妹にはキリさんの苦労が良くわかる。
ゆきちゃんのかわいさを2次元に落とし込むなんてマジ無理ゲーだよね、ほんとお疲れさまでした。今後のさらなる飛躍と活躍が楽しみです。
『あいさつも終わったところで今後の活動方針を発表します!わたしのチャンネルの主なコンテンツは歌とダンスです!いいネタがあれば何か企画ものをやるかもしれないけど、メインはあくまで歌とダンス。基本はわたしが自分で作った曲を歌うけど、リクエストがあれば歌ってみたや踊ってみたもやってみたいかな。リクエストはボカロなんかの著作権のないものにかぎらせてもらうけど希望があればSNSの方にどんどんメッセージくださいね。生配信は毎週土曜日の21時予定!初回はいきなり明後日だね!動画投稿は月水金と週3回を予定してるよ!』
これでわたし達4姉妹の毎週土曜の夜の予定が決まった。ゆきちゃんの生配信を見逃すわけにはいかない。
【毎週新曲をだすの?】【ふつーに無理じゃね?】まぁ常識的に考えて毎週新曲を出すとか無理だよね。でもゆきちゃんはそのへん普通じゃないからなぁ。
『途中リクエストなんかも受けるつもりだし、どうしても間に合わなかったら他の曲もやるつもりだけど、作りためてある曲がそこそこあるんでしばらくは大丈夫だと思う!』
【ダンスも自分で?】ゆきちゃんは歌ができたころにはもうダンスもできている。横で見ていたら神業にしか見えない。
『そうだよ!曲を作りながら同時に頭の中で振り付けもできていくからそんなに苦にならないし』
当然のことのように言ってるけどそれが一般的なわけもなく【え、それって普通なん?】【いやフツーじゃねっしょ】【天才?】【そういえば昔、曲歌詞ダンス全部自分で作っちゃう神童子役っていたよな】当然そうなるよね。
そんなこと簡単にできる人がゴロゴロいてたまるか。いきなり核心つかれてゆきちゃん動揺中。
『そ、そうなんだ!世の中上には上がいるもんだね!あははは』
誤魔化すの下手か。とりあえず落ち着け。
『こないだアメリカから日本に帰ってきたばかりで芸能関係とか疎いから知らなかったよ。わたしも負けないようにがんばってみんなに歌声を届けていくね!』
「……これ誤魔化せてんのか?」
「さぁ……。突っ込みがないからある程度は信用されてるのかな?アメリカに渡ったっていう情報までは一般に出回ってないだろうし」
「名前もそのまんまだしバレるのも時間の問題……」
「バレようがバレなかろうが人気が出るのは間違いないですね~。こんなにかわいいんですもの」
それについては同意。容姿と声両方とも受け入れられてるし、なによりゆきちゃんの歌を聞いて魅了されない人なんていないもんね!ゆきちゃんの歌声を聞いた後のリスナーさんの反応が今から楽しみで仕方ない。
『それじゃ、さっそく明後日わたしのデビュー曲を披露しちゃいますね!あと、歌の後に大事な発表もあるのでみんなぜひ見てくださいね~!』
Vtuberとしてのゆきちゃんの初舞台は好印象で終わった。大事な発表ってなんなのかすごく気になったけど、本人に直接聞くわけにもいかないから明後日の生配信を楽しみにすることとしよう。それよりゆきちゃんが戻ってくる前に証拠隠滅しとかないと。
それぞれスマホをポケットにしまい適当にテレビのチャンネルを変えて何食わぬ顔でちょうど放送されていたバラエティ番組を見ていた風を装う。途中からだから内容は誰もわかってないけど。
少ししてゆきちゃんが戻ってきた。
「終わったよ~。緊張したけど楽しかった!」
「おつかれさん。デビューおめでと」
より姉がそう声をかけると嬉しそうにパタパタとスリッパの音を鳴らしながら小走りで寄ってきていつもの指定席にストンと座る。こんな仕草のひとつひとつもかわいい。
「これからまた歌が歌えるな。ゆきおめでとう」
「より姉、あか姉もありがと!もうデビュー曲はしっかり出来上がってるし早くカメラの前で歌いたいよ」
本当に楽しみで仕方ないんだろうな。子供の用に足をぱたぱたさせながら目をキラキラさせている。こうやって生き生きとしたゆきちゃんはやっぱり誰よりも輝いていてかわいいしキレイでかっこいい。憧れるなぁ。
それぞれが確信をもってゆきちゃんに激励の言葉をかけていく。
「ゆきちゃんならすぐに人気者になれますよ~」「応援してるから頑張ってね!」姉妹全員がゆきちゃんなら必ず人気者になれると信じて疑っていないのだ。
「かの姉ありがとう。ひよりもありがとうね!お兄ちゃんいっぱい頑張るからいっぱい応援してね!」
そう言って隣にいるわたしの頭を撫でてくれる。むふ~、顔の筋肉が緩んでしまう……。ゆきちゃん大好き!
「ひよりちゃんだけズルいです!」
「私も頭ナデナデ所望」
2人の姉から苦情が出るとゆきちゃんは2人に飛びつくように抱き着いていって両腕を使いかの姉あか姉の頭を撫でてあげている。2人ともだらしないくらい表情が緩みまくっている。さっきのわたしも同じような顔してたんだろうな。
より姉は微笑ましい光景を見るかのような笑顔を浮かべて珈琲をすすっている。元の位置に戻ってきたゆきちゃんは何も言わずより姉をハグしてナデナデ。
「ちょ、わたしは頼んでねーぞ」
そんなこと言ってるけど顔が緩みまくってるよ、より姉。
「顔に書いてあったもん」
ゆきちゃんに強がりは通用しない。些細な表情や仕草から分かるのか、人の心が読めるんじゃないかと思うくらいこちらの気持ちを的確に読んでくる。
寂しかったり、悲しかったりした時、ゆきちゃんは見逃さず声をかけてくれる。相談に乗ってくれることもあれば何も言わずずっとそばにいてくれることもある。
こちらがしてほしいと思うことを何も言わなくてもしてくれるの。
逆にいいことがあって喜んでいる時も一緒になって自分の事のように喜んでくれる。
そうやって1人1人の心にきめ細かく寄り添ってくれるところがゆきちゃんの本当の魅力なのかもしれない。
ゆきちゃんが隣にいてくれるだけで安心することができる。そういうところも含めてわたし達姉妹4人は全員ゆきちゃんのことが大好き。
姉妹同士も十分に仲がいいんだけど、なんだかんだで中心にはゆきちゃんがいることの方がほとんど。誰もブラコンであることを隠そうともしない。
こんなにわたし達に溺愛されているゆきちゃん、きっと世間からも愛されるだろう。ゆきちゃんの魅力の前では老若男女問わずメロメロに決まってる!
初配信でテンションの上がったゆきちゃんがかわいすぎてつい遅い時間まで盛り上がってしまった。
これから頑張って!わたし達はいつでも見守ってるからね、ゆきちゃん。
リスナーさんの前で復帰祝いの唄を披露し、失敗してしまったあの日から一年以上の月日が過ぎて、わたしは二十二歳になった。 そして今、わたしはある一室にいる。 「わたしはもっとみんなの近くで唄いたい!」 そう宣言してから半年以上、わたしはリハビリとボイトレに励み、そして自分の声を完全に取り戻した。いや超えた。 かつての音域からさらに半オクターブ、広げることができたのだ。 そしてわたしはボイトレに励みながら、ある計画を実現させるためにかつての自分の考えを覆す決断をしていた。「それではその時は全面的にプロデュースをお願いするということで。利益の取り分は書面通りで構いません。よろしくお願いします」 かつて大阪で琴音ちゃんを通じて知り合った女性プロデューサー、五代さんに向かって頭を下げる。「こちらとしてはどんな条件であれ、ゆきさんに来てもらえるなら大歓迎です。でも一体どういった理由で心変わりを?」 芸能界という世界を毛嫌いし、関連するようなところとは極力距離をおいてきたわたしが突然こんなことを言いだしたのだから、疑問に思うのも当然だろう。「確固たる目的のためです。わたしが以前、脳の障害で一年以上昏睡状態にあったのはご存知ですよね?」 黙って頷く五代さん。 ネットどころかオールドメディアでもニュースになったような出来事だから知っているのは当然だろう。いや、その仕事からしてたとえニュースにはなっていなくとも、彼女ならそのネットワークで情報を得ていただろうと思う。「元々わたしは幼いころから脳の障害を抱え、余命も宣告されていたことから生きることに対して諦めの気持ちがありました。だけどそれを変えてくれた人たちがいた」「お姉さん達ですね」 意外な人から突然核心をつかれてしまったことに驚き、わたしは目を見開いた。どうしてこの人がそのことを? わたしの疑問が顔に出ていたのか、五代さんはふっと笑うと以前は見せることのなかった柔和な表情を浮かべた。「ゆきさん、わたしは何も企業利益だけを考えてあなたに声をかけたわけじゃありませんよ。わたし
「みんなただいま!」 ようやく帰宅許可が下り、無事退院となったその日。 我が家では家族全員が休みを取って快気祝いのパーティーを準備してくれていた。「「「「おかえり!」」」」 声を聞くだけで分かる、心から待ちわびていた祝いの言葉。 お母さんから始まって、家族全員とハグをした。この辺はアメリカ生活をしていた名残なのかな。 お父さんは少し恥ずかしそうにしてたけど。息子相手なのになぁ。「それで、もう日常生活に支障はないのか?」 より姉が気づかわしげな視線で尋ねてきたので、わたしは元気をアピールするために腕をぐるぐる回してみせた。「この通り、すっかり元気だよ! まだ激しい運動は止められているけど、軽い筋トレくらいなら大丈夫。日常生活の筋力を取り戻すためにも家事は積極的にやってくださいだって。だから明日からはまたわたしがご飯を作るからね!」「……!」 みんな声にならないほどの衝撃を受けている。え、わたしがご飯を作るのってマズイ?「ま、またゆきのご飯が食べられる……」 両手で口を押さえたお母さんが感涙にむせぶ。えぇ、そんなに!? かの姉とあか姉は無言で両手を天高く突き上げている。一片の悔いなし? そしてより姉とひよりに両サイドから抱き着かれてしまった。「一年半ぶりのゆきちゃんの手料理! もう今からお腹が空いてきたよ!」 明日まで待ってたら餓死しそうだね。「いかん、よだれがとまらん」 本当によだれを垂らしてしまうより姉。乙女のする顔じゃないぞ。 でもこんなに待ち焦がれてくれていたとなれば腕が鳴るというもの。明日は目いっぱいご馳走を作ろう。「でも思ったよりも早く退院できましたね」 ようやく気分の落ち着いたかの姉がオードブルの並んだ食卓につきながら、感心したように言って来た。「そうだね。若さもあるけど、それ以上に頑張ったしね」 最初は半年の予定でリハビリプログラムを組
立てるようになってからのリハビリは、想像していた以上に大変だった。 平行棒、杖、歩行器を用いて転倒防止に注意しながら、重心移動や筋力向上、正しい歩行様式を取り戻していくのは一朝一夕にできるようなものではなく、なかなか思うように動いてくれない体に苛立ちを覚えつつも地道に筋力を蓄えていく作業。 下手に頑張りすぎると逆効果になると分かってはいるけど、一日も早い復帰を願う気持ちはなかなか抑えられるものでなく、遅々として進まないリハビリプログラムにヤキモキしていた。「さすが若いだけあって回復が早いですね」 歩行訓練後のマッサージをしてくれながら、理学療法士の飯島さんがそう言ってくれる。「自分では回復が遅く感じてしまい、どうしても焦ってしまうんですけどね」 どうしても頭をもたげてしまう焦りの心。 愚痴をこぼしたところでどうにもならないとは分かっているけど、ずっと優しく指導をしてくれる飯島さんにはつい甘えてしまう。「早くおうちに帰りたいですもんね。でもね、わたしもあなたのファンだから言うけれど、待っている側からすれば焦って戻ってきて取り返しのつかない後遺症が残るくらいなら、何年でも待つから万全な状態で戻ってきてほしいと願うものですよ」 優しい手つきでふくらはぎを揉み解しながら、それ以上に優しい笑顔を見せてくれる飯島さん。 リハビリが始まった当初からわたしのファンを公言していて、担当が決まった時には飛び上がって喜んだそうだ。 そんな熱心なファンをしてくれている彼女の言葉だから信じたいけれど、どうしても不安な気持ちは拭えない。「飯島さんはそうかもしれませんけど……」 八つ当たりにも似た発言だけど、飯島さんは気分を害した気配すらなく、穏やかに話を続けた。「不安になるのも分かりますけどね。ファンを信じるのもアーティストとしての務めじゃありませんか?」 ただの弱気の吐露にも関わらず、温かい表情で返ってきたその言葉に、わたしの中の何かが動いた。 今まで明確に意識したことはなかったけれど、わたしもアーティストの端くれな
リハビリをやり始めてから比較的すぐに自力で立ち上がれるようになった。 だけど、そこからが過酷な日々の始まり。 最初は一歩二歩と歩くだけで滝のような汗をかき、心拍数も爆上がりしてしまったのでその時点でリハビリ中止。 その後も数日間はトライしては中止の繰り返しで一向に進まない。 そこで体力の回復が先決だと判断した先生の指示により、立って歩くよりも先に長時間座ることから始めることにした。 ただ座るだけと思って侮っていたけれど、すっかり体力の衰えてしまった体にはこれが存外キツイ。 スマホを触って気を紛らわせているとはいえ、最初は二時間程度で音を上げてしまった。 だけどそれも繰り返すうちにだんだん苦ではなくなっていき、半日座っていられるようになった頃にはかなり体力も回復していたようだ。 その後に始まった歩行訓練でも最初のように滝の汗をかくことはなくなり、ようやく日常生活に向けての第一歩が始まった。「今日はね、リハビリ室の端から端まで歩けたんだよ」 嬉しそうに報告するわたし。「ふーん」 なんだか気のなさそうな返事をするより姉。「あれ? なんか怒ってる? わたしのリハビリが進んでるのが嬉しくない?」「いや、そんなわけないんだけどな。ゆきがどんどん元気になっていってるのはそりゃ嬉しいさ。でもな」 なんだろう。リハビリとは関係なさそうだし、他に何か怒らせるようなことしたっけ?「ゆき、何か報告しておかないといけないことを忘れてないか?」 報告? ずっと病院にいるわたしがリハビリのこと以外で何を報告することがあると言うんだろう?「何のこと?」 本当にわからない。わたしがより姉を怒らせるようなことなんて皆目見当もつかないよ。「茜とのことだ」「ひうっ!」 突然あの日のことを突きつけられて、ビックリすると同時に思い出してしまったので変な声が出た。「なんだその奇声は。茜が自慢気に話してたのは本当だったのか……。てっきりあいつの作り話だと思ってたのに」 カマかけられた! でも本当のことだから嘘をつくのもなぁ。「それで、だ。ゆき」 改めてわたしの方へと向き直るより姉。対して被告人よろしく姿勢を正すわたし。「正妻の立場としてはだな。茜がしてもらった以上は同じことをしてもらう権利があると思うんだが」 いや、あれはわたしの方からやったわけじゃな
「みなさん、こんにちは。どうもご無沙汰してました。雪の精霊、YUKIが今日もみんなに幸せを届けるよ! とまぁかつてのテンプレ挨拶をぶちかましたわけですが。みなさん、本当に長い間お待たせしました! ゆきはこの通り見事復活を果たして今ではピンピンしていますよ。 眠りこけていたおかげですっかり体がなまってしまったので、しばらくリハビリが必要なんですけど、またみんなに歌声を届けられる日が来るのも近いです」 ひよりに撮影許可とノートパソコンを頼んだ次の日、今日の当番だったあか姉が許可を取れた情報と共に届けてくれた。 そのパソコンを使ってさっそく配信予約を取り、夕食後の十九時に配信を開始した。 配信の告知をしたのは昨日なのに、みんな余程待ちかねてくれていたのか同接は60万人オーバー。 倒れる前の50万人を大きく上回る結果となった。「たくさんの人が見に来てくれて、それだけわたしの歌声がみんなに求められているんだと思うと感無量です。変わらぬ応援にとても感謝しています」 あまりのありがたさに思わず涙ぐんでしまう。だって一年以上ものブランクがあって、それでもこれだけの人が集まってくれるのが嬉しくて、ありがたくて。【歌ももちろんだけど、ゆきちゃんの顔が見たかった】【元気そうで安心した】【ゆきちゃんの姿を見たら涙が出てきた】【ほんと、おかえりなさい!】 歌だけじゃなく、わたし自身をも待ってくれていたというコメントに、とうとう涙が溢れてしまった。 あーあ、本当にわたし涙もろくなったよなぁ。男のくせにみっともないとは思うけど、止められないものはしょうがない。「みんな本当にありがとうね。一日も早くみんなの前で唄って踊れるよう、毎日リハビリ頑張ってるんだ! だからほら、一週間でもう立てるようになったんだよ」 そう言ってノートパソコンをテーブルの上に置き、立ち上がろうとするわたし。 まだ安定性には欠けるけど、どうにか自分の足で立ち上がることが出来た。隣であか姉がハラハラしたような顔で見てるけど。【あんまり無理はしないで】【ワイらはいつまでも待ってるから】【生まれたての小鹿みたいになってるやん】【怪我する前に座って!】 うちの姉妹だけでなく、リスナーさん達もわたしには過保護だな。「これくらい大丈夫だって。なんならターンしてみようか?」 調子に乗ってターンをしよう
日々続くリハビリは、思った以上に大変だった。 まずは寝返りや座ることから。最初の内はそれすらも大変で、どうにか寝返りを打てると言った状態だった。 それから座ることも難なく出来るようになったかと思ったら、息つく暇もなく自力で車いすに乗ることを特訓。 これが想像以上に困難なことで、立ち上がろうとしても膝が笑って上手くできない。看護師さんの介添えがあってようやくといったところ。「えへへ。密着出来て幸せぇ」 一部、邪な考えで介助してくれている人もいるけれど。 一度より姉に見つかって、ナースステーションで担当替えを真剣にお願いされていた。できればわたしも替えて欲しい。 でも決して手は出させませんという言質を得て、どうにか引き下がっていたようだ。そこで納得しちゃうのね。 わたしの不安な気持ちと、あの舐めるように見てくる気持ち悪い視線からは解放してくれないのだろうか。 病院も人手不足なのはわかるけど、あんなのを特別病棟に配置して評判に関わったりはしないんだろうかと心配になる。「今まではもうちょっとマシだったんですけどね」 他の看護師がそう言ってフォローしてたけど、正直何の慰めにもなってませんよ? むしろエスカレートしてるってことで余計不安になったわ。 だけど車いすに乗って久しぶりに外へ出たのは気持ちがよかった。すっかり忘れかけていた風の匂い。 そこには微かに草木の匂いが混じり、まもなく訪れる生命が謳歌する夏の気配を感じさせる。でも今日は少し湿っぽい匂いも混じっているから、雨でも降るのかな。 以前と違って色が見えるようになったわたしは、外の景色をいくら眺めていても飽きることがない。 目を凝らせば色というのはあちこちに散らばっていて、普通に暮らしていれば気づかないようなところにも鮮やかな色が潜んでいる。 例えばビルのひび割れから生えた生命力に溢れた雑草の緑。暗いアスファルトの隙間から顔を覗かせるたんぽぽの鮮やかな黄色。 普通の人なら気づくことなく通り過ぎてしまうその景色も、今まで違う世界を見ていたわたしには物珍しい。 部屋にいてもスマホやテレビを見ている時間より、窓の外を眺めている時間の方が長いくらいだ。「なぁに、また外を見てるの?」 今日はひよりの番なのか。「うん、今日も外の景色がキレイだからね」「やっと見えるようになっ
ホテルの部屋でお菓子パーティー。「それじゃ、女子会始めるぞ~」「「「いえーい!」」」 女子会じゃねー! ここに! 男の子が! いますから! 忘れんな!「まぁまぁゆきちゃん、見た目だけの話だから」 そうか、見た目だけならまぁ。 とでも言うと思ったか?「はい、ゆきちゃん」 かの姉にチョコレートを口に放り込まれた。うん、美味しい。「ゆき、餌付け」 違うわ。 まぁ甘いものを食べると大人しくはなるんだけど。これって餌付け? コンビニでかの姉の見つけたフルーツジュースが美味しそうだったので、いろんな味のものを買い込んできた。 わたしが最初に飲んだのはシャインマスカット。渋味
より姉に腕を絡ませ、駅への道を歩いていく。 上機嫌なより姉は気付いてないけど、すっごく注目されてるからね。 わたし達って傍から見たら、どういう風に見えてるんだろう。男装してるけど、より姉はどこからどう見ても女性だもんなぁ。「やっぱり百合カップルだよねぇ……」「ん? 何がだ?」 ニコニコ笑顔の依子さん。鼻歌でも歌いだしそうだ。「いや、わたし達ってどういう風に見えてるのかなぁと思ってね」「そりゃ美男美女のベストカップルだろ」 それは無理があ
「……」 ごめんなさい、冒頭から言葉が出ません。 より姉の部屋で指定のドレスに着替えたんだけど……。「より姉、ナニコレ?」「ん? ドレスだが?」 それは分かるよ。うん、ドレスだね。 何の服かを聞いてるんじゃないんだよ。問題はそこじゃなくって。「上半身の布地がえらく少なくはありませんか?」「そうか? そんなもんじゃねーの?」 そんなもんであってたまるか。なんだこの露出の激しさは。 背中はがら空きだわ、胸は半分見えてるわ、腹部に穴が開いておへそが見えてるわ。「なんだ、寒いのか?」 そうじゃねーよ。 もうすぐ夏だし、寒くはない。 体はね。 でも心が凍えそうだよ。「も
今日からいよいよ新学年。「ゆきちゃん、最後までよろしくね」「よろしくー」 結局、文香と穂香は中学から数えて5年間、ずっと同じクラス。 生徒会役員をずっと同じクラスに固めてよかったのかな。先生方は何を考えているんだろう。「驚いてるね」「そりゃそうでしょ。なんせクラスを分けたら生徒会解散の危機になるって脅したしね」 なんということを……。 金剛力士様恐るべし。「最後までゆき会長を支えていかないとだからね」「祀